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中国明代・鄭和艦隊の難破船、ケニア沖に 「平和外交」の象徴、共同研究 7月30日7時56分配信 産経新聞
拡大写真 鄭和が立ち寄った国(写真:産経新聞) ■航海600周年、交流アピール
【ロンドン=木村正人】15世紀初めにアフリカまで航海したといわれる中国・明代の武将、鄭和(ていわ)の大艦隊のうち、磁器などを積み込んだ1隻が東アフリカのケニア沖に沈没している可能性が高いとして、中国とケニア両国が共同研究に乗り出した。中国はいま、近代的な外洋海軍の整備を着々と進めており、約600年前にインド洋を横断して東アフリカまで到達した鄭和を“平和外交”の象徴として強調することで、国際社会の懸念を和らげる狙いがあるとみられている。
鄭和に詳しいオーストラリアの歴史家ジェフ・ウエイド氏によると、鄭和艦隊の難破船が沈んでいるとみられる地点はケニア沖のラム島付近。周辺海域では当時の中国製磁器が見つかり、今月下旬、中国側の考古学者11人がケニア入りした。今後、北京大学とケニア国立博物館の考古学チームが3年間の計画で調査に着手する。中国商務省が2千万元(約2億6千万円)の費用を負担するという。
鄭和の艦隊は東南アジア、インド、アラビア半島を経てアフリカ東海岸に至り、1418年にラム島の南に位置するケニアの都市マリンディに到着したといわれる。
ケニアからの報道によると、当時、難破船から多くの船員が海岸に泳ぎ着き、現地の女性と結婚。中国系アフリカ人社会が現在も残っているとされる。最近、DNA検査で中国人の血を引くと判定されたスワヒリ語系の女性(19)が、中国の経済援助を受けながら中国で伝統医学を学んでいる。
経済成長に必要な資源などを獲得するため、アフリカで独裁政権を支援し欧米の批判を招くことも少なくない中国だが、最近、鄭和が交易を中心とした“平和外交”を推進したと主張。その後、アフリカに到達した欧州諸国が武力を行使し、奴隷貿易まで行った負の歴史との違いを強調している。
中国側には、航海から600周年に当たる2018年までに中国とアフリカの歴史的交流を証明し、国際社会に中国とアフリカ関係の長さをアピールする狙いがあるようだ。
ただ、鄭和の“平和外交”には異説もある。
鄭和関係の文書を翻訳したことがあるウエイド氏は本紙の電話取材に、「鄭和の艦隊は先端の武器を積んでおり、少なくともジャワ、スマトラ、スリランカの3カ所で武力を行使した。しかし研究は中国に委ねられているので、批判的な調査は行われていない」と話している。
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